ようこそ、1200度の「鉄の聖域」へ。
私たちの工場に一歩足を踏み入れると、まずその轟音と熱気に圧倒されるでしょう。 愛知県安城市。ここが、豊和鍛工のフィールドです。
私たちが作っているのは、ただの鉄ではありません。 命を預かる、「強い鉄」です。
自動車の足回り。ハンドル操作を伝えるステアリングや、衝撃を吸収するサスペンション。 これらは「重要保安部品」と呼ばれ、万が一にも壊れることが許されません。一つの破損が、人の命に関わる重大な事故に直結するからです。
だからこそ、私たちは叩きます。 1200度に真っ赤に熱した鉄の塊を、巨大なエアドロップハンマーで打ち据える。 その衝撃で金属の組織を密にし、決して折れない、強靭さを生み出す。
この「熱間ハンマー鍛造」という技術のルーツは、古来の「刀鍛冶」にあります。 折れず、曲がらず、よく切れる名刀を生み出してきた、あの魂と技術。
3500年前から続くこの炎を、現代のモビリティの安全へと昇華させる。 それが、私たち豊和鍛工の誇りであり、使命です。
そして、この熱い現場には、鉄よりも熱い魂を持った男たちの物語がありました。 その歴史の扉を、ここから開いていきましょう。
まずは、会社の沿革から
- 1941.3 名古屋市熱田区三番町に於いて石渡鉄工所として個人創業
- 1954.4 豊和鍛工株式会社として法人組織(資本金100万円) 紡績機部品を主体に操業開始
- 1957.6 名古屋市港区南十番町に鍛造工場建設、東南鍛工株式会社として操業開始(現:東南精機株式会社)
- 1958.9 資本金400万円に増資
- 1961.8 安城市橋目町に鍛造工場建設(本社移転)資本金900万円に増資
- 1967.3 豊和鍛工株式会社金型工場(名古屋市熱田区)より楠精工株式会社として分離独立
- 1976.1 密閉式防音鍛造工場建設(旧工場より機械設備移転)
- 1982.1 資本金3,600万円に増資
- 1985.1 資本金4,680万円に増資
- 1985.3 合理化優良企業として中小企業庁長官表彰
- 1986.1 労働衛生の優良企業として愛知労働基準局長表彰
- 1990.5 豊田工機株式会社(現:株式会社ジェイテクト)品質管理賞受賞
- 1992.4 愛知県中小企業受診優良企業に指定
- 1995.5 豊田工機株式会社(現:株式会社ジェイテクト)協力会 安全衛生賞受賞
- 2004.3 ISO14001認証取得
- 2006.3 ISO9001認証取得
- 2008.7 中国に合弁会社 唐山豊石汽車配件有限公司を設立
- 2010.12 中国に合弁会社 唐山豊吉模具有限公司を設立
- 2014.4 株式会社クボタ 永年取引感謝状拝受
- 2019.3 株式会社ソミック石川 品質目標達成賞受賞
- 2019.4 万能工業株式会社 品質管理優秀賞受賞
- 2023.11 一般社団法人 日本鍛造協会 人材育成事業貢献感謝状拝受
会社の想い、企業理念
どこの会社にも、企業理念、というものがあります。創業者が、「世の中をこんな風に良くしたい!」と強い意志を持って立ち上げた会社。話したら長くなる気持ちを、短い言葉に表したものが、企業理念となります。
「この会社はこういう気持ちを大切にしているんだ」と知れる、貴重な情報なので、あなたが今、どこの会社に所属していたとしても、それぞれの会社の企業理念を理解し、尊重するようにしてください。
豊和鍛工の社是
常に労使豊かな『和』の基に、鍛工品を通じて社会に貢献する
豊和鍛工の基本方針
品質第一に徹し、お客様の信頼を得る。豊かで、和のある職場づくり
豊和鍛工の歴史
1941年、創業者である渡辺秀正が、当時勤務していた鍛造工場から独立し、名古屋市内に個人創業、屋号を「石渡鉄工所」と名付けました。
その後の、1954年に「豊和鍛工株式会社」として法人化し、今に至ります。
1961年、騒音公害防止の観点から、密閉式防音鍛造工場を、安城市橋目町(現在地)に建設しました。
当時の豊和鍛工の特徴として
- 当時の鍛造工場として、騒音レベルが非常に低かった
- 金型技術が高く、生産性と歩留まりの良さを極限まで高めた「多数個採り」が可能な金型を設計していた
- ハンマー職人のレベルが高く、日本有数の、圧倒的な生産性を誇っていた
したがって、当時は国内でも非常に有名な会社であり、地元の小中学生や、海外からの視察団などで、工場の来訪者が多かった、と言われています。
いまでも存在する工場の回廊は、「格好いい鍛造職人を見たい」というニーズに安全にお答えするために作られました。
「何でもいい、一番になれ」——11月1日に旅立った、伝説の二代目・渡辺十三蔵が遺した“1”の教え
豊和鍛工の歴史を語る上で、避けて通れない一人の男がいます。 二代目社長、渡辺十三蔵(わたなべ とみぞう)。
今も工場のベテランたちが「本当に良い社長だった」と目を細め、協力会社の経営者たちが「あの人には世話になったんだ」と感謝を口にする。没後10年が経過した今でもなお、彼の存在は豊和鍛工の士気を高める原動力であり続けています。
そんな彼が、口癖のように遺した言葉がありました。
「なにか得意なことを見つけろ。何でもいいから、一番になれ」
徹底して「1」にこだわった生き様
十三蔵社長は、とにかく「1」という数字にこだわった人でした。 「一番」であることは、単なる数字の競争ではありません。それは、自分の仕事に誇りを持ち、誰にも負けないという「責任」を持つこと。
「自分は掃除なら誰にも負けない」「元気だけは自信がある」「お酒は誰よりも飲める」・・・ どんなに小さなことでもいい。自分の領域で一番を目指す姿勢が、ひいては豊和鍛工という会社を「代わりのきかない一番のパートナー」へと成長させました。
渡辺十三蔵は、豊和鍛工を「自動車部品メーカの鍛造工場である」と定義し、業界の発展に尽力しました。その圧倒的な信頼によって、協力会の副会長と会長を歴任。
現在も私たちが作り続けている多くの部品は、彼が「信頼において一番」を勝ち取った証そのものなのです。
2015年11月1日、奇跡のような最期
十三蔵社長の「1」への執念は、最期の瞬間まで貫かれていたのかもしれません。 彼がこの世を去ったのは、2015年11月1日。
まるで自らの人生を象徴するかのような、1が並ぶ日でした。 その死を悼み、行われたお葬式は、中小企業の社長としては異例なほど盛大なものでした。参列した多くの人々が流した涙は、彼が人生を通じて、どれほど多くの「一番の信頼」を築いてきたかを物語っていました。
3500年のバトンを繋ぐ「1」の精神
今の豊和鍛工にも、その精神は息づいています。 私たちが目指す「世界一羨ましがられる会社」というビジョン。 その根底にあるのは、「何でもいいから、目の前の仕事で一番を目指す」という十三蔵社長の教えです。
たとえ時代が変わり、作るものが変わっても、この「1」へのこだわりだけは変わらない。私たちはこれからも、安城の地で鉄を叩きながら、彼が遺した誇り高きバトンを次の一年、次の一世紀へと繋いでいきます。
豊和鍛工はこれからどこに向かっていくのか
2025年の終わりごろ、豊和鍛工は新しいスタートを切りました。渡辺智仁の社長就任。
渡辺秀正からスタートした豊和鍛工ですが、前社長の三浦洋裕からバトンを受け取り、とうとう、ひ孫の世代まで受け継がれてきました。
古き良き豊和鍛工を残し、世の中の期待に応え、進化を続ける
私たちは、鍛造(たんぞう)という、「一度失うと復活するのが難しい」製造業の核となる技術を、将来にわたって残し続けることで、強い日本の未来を作る会社です。
壊れてはいけない強い鉄を、より環境にやさしい形で世の中に提供し、我が国の製造業の、より一層の発展に貢献します。
夏は暑く、冬は寒い愛知県安城市ですが、暑さに負けず、寒さにも負けず、元気に「ドンドン」頑張っていきましょう。

